Q. IS0のストレス
二年前に品質マネジメントシステムを取得した、プレス板金会社の品質管理責任者です。ISOの理解もある程度進んだと思うのですが、実はいまだに定期審査が近づくと緊張します。決して、毎回指摘事項が出るのではありませんが、何故か毎回不安を覚えます。内部監査やシステムの見直しに時間を掛けて行い、準備にも漏れが無いようにしていますが、何か問題を指摘されたらどうしようかと考えると、不安を通り越して恐怖に近い感じさえしてきます。審査をこんなに怖がるなんて自分でも可笑しいのですが、仕事の納期遅れ対応とISOが重荷になって、大きなストレスを感じています。
藍田良雄: 認証後の企業から依頼され、内部監査員教育研修を行う折に、管理責任者から相談や悩みを打ち明けられることが増えてきました。取得時の事務局員や内部監査員が人事異動や定年で入れ替わったり、新入社員が入社したからというのが表向きの理由ですが、本音は自社で構築したシステムに自信が持てなくなったり、取得までは社長をはじめ、社員一丸となって取り組んでいた熱意や関心が次第に薄れ、管理責任者一人がいくら声を張り上げても、社内は思うように動かず、社長までもが「ISOはお前に任せたから」という態度に、苛立ちを募らせているのが現状のようです。こんな悩みを審査員に打ち明けたりしたら、それこそシステム不適合を指摘されそうで、怖くて相談できないと言います。
「認証後のシステムの弛緩」
通常のシステム構築は、約一年間かかります。この間、マニュアル作成や内部監査の実施などの実質的な統括は管理責任者です。業務多忙を言い訳に尻込みする部課長を叱咤激励し、素人集団の内部監査員への教育を行い、ISO取得の御旗を振りかざして審査スケジュールに向け、全力疾走を強いられます。ある企業の管理責任者は、ISOへの経営者の無関心・無責任はまるで“ISO音痴”だと笑っています。この企業は、予備審査を数週間後に控えても社内の盛り上がりが全く見られないばかりか、経営者には本気でISOを取得する自覚がないのではないかと悩む毎日が続き、管理責任者として審査の危機を感じたと言います。審査機関へ受審スケジュール変更を3回要請する頃には、審査機関との板ばさみや苛立ちが、強いストレスへと変わり、最後には胃潰瘍で穴をあけてしまいました。結局、何とか登録はしたものの、その後のシステムの状況は変わらずに、管理責任者が独りでがんばって維持しているのだそうです。
この事例のようにISOを取得し、維持していく上で、弛緩したシステムは、社内の活性化に活かせずに逆に重荷になってしまう結果になります。
【管理責任者とストレス】
管理責任者の仕事は、気を張りつめる業務であり神経を使います。「品質・環境性」向上の要請を背負い、MSがトラブルでストップしないように目配りするのが職務です。顧客からのクレーム1つで、日常の自身の業務予定が変更され、帰宅時間の目途も立たない状態になることも珍しくなく、ひとたび不良やトラブルが発生すると、関係部署に連絡を取り、原因究明と対策、早期復旧に駆け回ることになります。そして顧客への報告書作成、検証、システム変更……
規格の改訂や新しいISO規格の導入が検討されるたびに、システムの理解から構築、保全、内部監査の習得を迫られます。「やっと定期審査が終わったと思うと、次の審査計画が入る。ホッとする暇がない。正直言って、ISOに追われて走り続けている感じ・・・」50人規模のプレス板金会社のISO担当だった、Aさんの述懐ですが、明らかにISOのストレスを受けています。彼の会社はQMS取得後、業駅を伸ばし、海外に生産拠点を作りました。「統合審査までの半年間が特に忙しかった。多くの仕事が集中し、残業と休日出勤が続いた」「通常の生産業務に、ISOの管理責任者を担当。加えて、海外工場の立ち上げの際には、設備導入工事の立ち会いと現地人の教育も掛け持ちした」「日本企業の多くが、まだISO14001を取得していないのに、入居した工場団地の管理会社や進出した日系企業からは、取引するには環境ISOを取ってくれと要請されました」「やむなく、現地の法規制を辞書片手に調査し、マニュアルを作り何とか半年で審査を受けるまでにこぎ着けました。」そうした日々を、“自分を欺し励ましして”重ね続けたある朝・・・憂鬱な気分で自宅を出て会社に近づくにつれ、次第に頭痛が激しくなり、目眩に襲われやっと自宅に帰り着いたのです。彼が病気を言訳に、会社を休んだのは初めてでした。何日たっても症状は回復せず、肩こり、脱力感、呼吸困難に苦しめられました。近くのクリニックに薦められ、専門の心療内科を受診すると、“鬱病”と診断されました。彼にとって、原因はISOしか思い浮かびませんでした。
【ISOストレスの回避】
退院して復職後、職場の仲間の配慮で、簡単な業務から始め、半年後には何とか通常の業務に復帰しました。それまで独りでISOを看ていたAさんが入院で居なくなった後、後任の人達も次々に体調不良を訴えました。はけ口のない閉そく状態は、人の躰やシステムの状態を悪変させます。会社は復職後のAさんの希望を容れ、社員教育や内部監査員の研修を前向きに行い、定期的なISOコンサルティングの受け入れを決めました。Aさんも、ISOへの考え方を変えました。「自分独りで、会社やISOを支えているのではない」“手を抜かずにシッカリやる”という建前は変えずに、仕事やISOと “程よいディスタンス”を取ろうと配慮するようになりました。人生観の転換で救われたのです。以前のAさんは、ISOの悩みや仕事上の不満を内に秘め、体調不良や健康不安を、家族や他人に相談することはありませんでした。職場の不満のあれこれを吐き出すとともに、避けられない事態は受ける用意をする、審査ストレスに対しては、擬似監査の実施や場数を踏んで場慣れをすることも有効です。
柄守川我留男: 生きている限りストレスは何らかの形で存在する。ISOの予防処置的着眼点から考察すれば、ストレスを自由にコントロールしたいところであるが、個人差もあり、体力と同様老成とは逆に加齢を増す毎に無理がきかなくなるようである。
【不安のメカニズム】
ただ、一般の健全な人間が絶えずそのような不安に、意図的に向かい合えるわけではない。結晶が析出寸前の際どいバランス状態にある過飽和溶液のように、漠然とした形骸で心の中に“不安”は現存する。しかるに、不純物の混入や溶解濃度変化、外部からの衝撃といった動因によって、突然とその姿を現わすのである。
【審査でのあがり症】
普段はなんでもないのに、審査の席に座ると突如として“あがり症”に陥る人がいる。準備不足や特に身体に悪いところもないのに、冷や汗が出て心臓がドキドキする。緊張や不安を感じると、血液中の覚醒や興奮に関係する神経伝達物質ノルアドレナリン値が上昇して自律神経の交感神経を活性化させ“あがり”が起こる。敵(審査員又はISO)と対峙してキバを剥き、毛を逆立てている状態である。顔面は紅潮し、発汗して硬直した身体は心臓が高鳴り手の震えを誘引する“あがり症”は、交感神経の反応が強く出すぎた結果である。また、公式の場で発言するようなとき、突然の指名(無条件恐怖)よりも順番待ち(条件恐怖)の方が遙かに緊張感が膨らんでしまう。「強い心臓と図太い神経が欲しい!」と願う人は多い。
【ISO恐怖症】
恐怖症とは、ある特定の物や状況に対してのみ、過度の不安を抱くという障害で、恐怖を覚える対象として、例えば、飛行機に乗ることに強い恐怖を覚えるとして、その人が一生飛行機に乗る必要がなければ、その人の生活には何ら影響ないが、審査などの受答えに苦痛を感じる人が、管理責任者として勤めた場合は、審査の度に苦痛で仕方ないという状況に陥る。女子供の発作的パニック程ではないが、成人男性が極度の恐怖を感じるのは非論理的でおかしいと、理屈では分かっている。しかし、その特定の物や状況がとても嫌い(怖い)ため、それらは意識的に避けられたり、避けられない場合でも、大きな精神的苦痛や不安に耐えなければならなかったりする。原因の究明と適切な治療法の対策が必要になるが、ストレスとは違って、年を取るにつれ次第に慣れていく。
【恐怖の原因】
恐怖症の主たる原因は、“恐怖の学習”である。
@自身の体験:自分が過去に嫌な思いや怖い思いをしたため、以後ずっとその状況に恐怖を覚える。例えば、講習会で講師に指名され、答えられず赤面してから講習会が怖い、とか、審査で思わぬ不適合を出されてから審査員が怖い、というもの。
A心因反応:パニック発作の発生条件は、制約なくどんな状況下でも起こり得る。周囲の状況や人・物との因果関係は何もないが、自身で因果関係を作りだし、パニックの理由を作ってしまう。その場合、例えば内部監査が不十分であったり、社長がマネジメントレビューにまともに対応してくれないというような理由付けをする事によって、[内部監査やMR=パニック発作]の公式が出来上がり、その言葉を聞いただけで強い嫌悪感や恐怖を感じるようになる。
B代理学習:他人の言動による影響で、例えば極端に汚れを嫌う親の子供は、親の態度を見て潔癖性になるように、「ISOを取ったのに不良が減らない」と社長から責任を追求されたり、「○○さんはISOに嫌気が差して退職した」というような話を何度も繰り返して聞くうちに、ISOそのものが怖くなったりする。
【治療法】
恐怖の克服には慣れが有効である。つまり恐怖を感じる特定の物や状況から、ただ回避させるのではなく段階的に恐怖の対象に“Exposure”(さらす)することで、嫌悪や恐怖への耐性を高めていく。まずは、本人の同意と協力を得て、根気よく段階的に行動変容へ進まなければならない。参考になる他社のISOを見学させたり、社外研修やビデオでISOの維持に自信を付けさせる等だ。
欧木普都生: ISOは取得したが、初期の熱はとっくに醒めて、管理責任者だけで支えている、そんな企業が抱えている問題は、「自信喪失」審査に対する「不安感」でしょう。管理責任者が几帳面で真面目な性格の人ほど、上手くいかない問題点や不安が嘆かれ、落胆の声が聞かれますが、実はこのような担当者がいる会社のISOは、本当は程ほどに上手く維持されている場合が多いのです。では、反対の場合はどうなのでしょうか?
【ISOのガン細胞】
ISO失敗の真因は、不安や悩みなど感じたこともない社長や管理責任者なのです。ISOに対する向上心がなく、対応はお粗末きわまりない。問題や失敗が発生しても突き詰めて話し合うわけでもなく、何処かがおかしいと常に批評し合いながら、ろくに解決も出来ないままに、無駄に時間を過している彼らこそ、組織のガン細胞です。
【小さな失敗を怖がる】
「ハインリッヒの法則」をご存じだろうか、失敗の発生確率を分析したもので、1件の重大災害の裏には、30件の軽微な問題があり、その裏には300件のヒヤリハットが在るというものだ。ひやっとした事象を見て見ぬ振りをして、問題改善意識が希薄になった組織こそが本当は恐ろしい。感情は行動と認識に作用します。ISOへのマイナスイメージは不安の解決に役立たない事実と、感情は認識によって変わる事を理解しましょう。
【楽観症】
悲観的な人は、コミュニケーションを自分から難しく、不快なものにしていく可能性が高く、反対に楽観症或いは楽観的な人は、困難な事態に遭遇しても、解決策を見いだす可能性が高いといわれます。小説や映画のヒーローは勿論このタイプです。青天の霹靂を憂いながら、イジイジと愚痴を口にする心配性の主役では、格好がつきません。確かに経営者や責任ある立場の人間は、本質的に楽観的であるし、そうあることが必要であると思います。どんな難局でも、先が見えれば楽観的になれるものですし、希望を持って事に当たれば必ず解決できるものなのかもしれません。
ところで、海外での高層ビル崩壊や地下鉄火災事故を思い出してください。今まで、災害が発生した時のパニックによる二次災害が強調され過ぎて来ました。デマや恐怖心からの暴走や将棋倒しが強く戒められ、まず落ち着いて状況を確認し、整然として非難行動を取るのが正しいと教えられてきました。しかし、結果的に避難が遅れ、助からなかった人達が大勢いました。“些細な事故”と楽観的に受け取り、“騒ぐのは恥ずかしい”と思っているうちに、煙に巻かれたに違いありません。つまりは“楽観主義”を非難するのではなく、“些細な事”に注意し“まだ見えぬ事故”を恐れて対応を考える“心配性”への軽蔑をこそ戒めたいのです。
【ISO心配性説】
過去に、ISOは性善説か性悪説かが論議されたことがありました。人間は必ず失敗を犯すから、そのために規則で縛り、コントロールしなければならないというのが、性悪説派の考えです。この考え方に近い人達の方が多数派かもしれません。ところで、ISOは経営のツールであり、不良を減らして顧客から注文を増やし、儲けるために取るのだ、というのが企業トップの正直な意見でしょう。ならば、ISOをより積極的に活用しようという経営者にあっては、敢えてマイナス要因には目をつぶり“性善説”の立場で、それこそ“楽観的”に取り組んでほしいのです。不満や愚痴や失敗の経験による“嫌悪学習のトラウマ”に、何時までも顔をしかめるべきではありません。しかし、ISOの管理責任者は “楽観性”よりも「俺は心配性」と思っている性格の人の方が、適任でしょう。神経質は、慎重・緻密さを要求される管理責任者に合った性格であり、神経質な人には優秀な人が多いのです。性格は、いろいろな出来事を経験することで変化していく、つまり、成長していくのです。悲観性一辺倒から、楽観性と心配性の使い分けです。大局は楽観し、当面のことは慎重になって、大いに管理責任者の業務を楽しもうではありませんか。
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