面舵一杯
乖離された語彙は勝手に自己主張を始める。そして、論理的理解のカオスに陥って抽象的な雰囲気に共鳴を感じるよう
強いられるうちに、やがて独善的とも忘我的とも言える虚勢のドキュメントに帰着する。たとえそれにより、革新的とも
言える品質文書が出来上がったとしても、従来の保守からの開放の成果の品質システム構築とならずに途方に暮れる。
IS0規格を明確に理解し、新しい様式の管理システムに転向する事は誰にでも簡単に出来る事ではない。
「コンサルタントとは重要問題について的確なアドバイスや、専門知識を駆使して問題解決に導く者だ。専門医に
相談することに似ている」
西沢の説明は智哉たちにとって始めて耳にすることばかりだった。
西沢は後者のタイプだった。
一方、コンサルタントを必要とする人々にも二つのタイプが存在する。
「顧客第一という事は、企業が顧客に顔を向けているかどうかで決まってしまう、と考えれば良いだろう。
経営者自らが顧客に向かわなくては、この競争には勝てない。そうすれば社員の心構えも、自ずと変わる。上役の
顔色ばかりを気にする社員を、まっすぐに『顧客』に向かわせる。それは、経営者の強いリーダーシップが無ければ
あり得ない。ISOはトップダウンだ」
西沢の頭の中にはISOを大手企業ばかりでなく、世界標準という大海の水先案内人として、中小企業にこそ
実績を積ませたい、広めたいという強い思いが有った。
工場を案内してくれた担当者は忙しいにも関わらず熱心に対応してくれた。工場内は奇麗に整理整頓され建物も機械も
手入れが行き届いていた。
「何が大変だったかって、仕事が終わってからの打ち合わせや、土日出勤は当たり前だったなー」
「不良品を出すとISOやってんでしょ、と言われる。これが一番辛かったね」
話を聞きながら通り一遍の相づちを打っていた。その時は、「こんな立派な会社でもさぞや大変だったろうな」、
「現場の5Sもかなり力を入れているし、事務局の準備室はなかなか立派だな」くらいの感想しかなかった。
文書の再構築は順調に進んだ。出来るだけシンプルな文書を目指し、大量の規定類は整理され、品質マニュアルに一体化し、
管理文書として、一本化された。数十冊有ったファイルは52ページ一冊に纏められた。
彼は、親子ほど年の離れた智哉や慎吾たちを息子のように感じたのか、折に触れ、一般には知られていないイギリスの
専門家のレポートを見せてくれたり、やっと手に入れた、日本では余り目にしない珍しい資料を提供してくれた。
西沢は智哉に対して、優れた才能のみが感じ取れるもの、別の言い方をすれば、優れた才能同士にしか感じることが
出来ない同種の匂いを直感的に感じていたのかもしれない。
一度だけ、西沢にそれが可能かどうか尋ねた事があった。
「どうせなら、業界で一番に取りたいんです」
「そういうことじゃない」
午後1時に事務所を訪れることになっている。途中の駅で柳生が乗り込み、隣に座った。
駅を降りると、広い通りから一つ裏の道に入り、十字路を曲がると潮風が強く吹いてきた。
「5分で話をつけましょう」
緊張していた智哉の体の中に熱い思いが湧きあがった。品質マニュアルと規定の合体、プロセスデザインの考えから
説明を始めた。
結局、特殊工程を含む、認識の違いを聞く話し合いは2時間近くかかった。
「いいでしょう、話は解りました」
後日、智哉は再びこの部屋を訪問し、伴部と並んで立つことになるが、まだ、知る由はなかった。
「審査機関の代表があそこまで言ったのだから、実現は確実です。彼は英国仕込みの紳士です、見込みの無い物には
絶対首を縦にしません。成功間違い無しです。専務おめでとう」
建物の外に出ると二人はほっと溜め息を吐いた。海風が心地よかった。しかし、海岸通りとはいえ、陽の光は強い。
気が付くと体中じっとりと汗ばんでいた。二人は看板にビールの文字を見て、近くの店のドアを押した。
「これで、図面や品質文書も見られるようにする。端末は今は12台だが、全部の機械に付けたいな」
去年立ち上げたインターネットのHPは既に何回かのアップデートでISO9000取得準備中を
PRしていた。
「この辺で良いだろう。今日は早めに帰って、明日の為に鋭気を養おうか」
「大変です、専務〜出社拒否です」
製造部の磯野と黒須、中山の熟練社員三名が明日は休むと言っているという。以前からの空気で
不安は有った。しかしそうなる訳はないとタカをくくっていた。話をしたら彼らは必ず分かって
くれると智哉は確信していたのだ。
「会議室に来るようにいってくれ」
「俺達はISOの事がまだ良く解らないし、それにこの前見たビデオの様には上手く審査員に
答えられないですよ」
「ちょっと待ってください。二十人しかいない会社で三人が抜けたらどうなるんですか」
――30分話し合っても結論に変わりは無かった。黒須は上目で年下の上司を見た。
「俺達には無理ですよ……」
「だけど、もし俺の所に来たら?」
「その時は現在行っていることを、何時もの調子で説明してください......審査員が
近くに来ても決して逃げたり、隠れたりしないでください」
智哉が、念を押すように一つひとつの顔を見ると、皆慌てて頷いた。
西沢は審査中の1週間は出張で連絡が取れないという事だった。当てにする事は出来ない。
日本は世界に比べ停頓している。日本人の品質管理に対する曲解と慢心が、ISOの解釈とグローバル化への
進展を遅らせている。強いて、このような指摘をしないことには、革新的なコンサルタントとはみなされないようだ。
そして、今日のIS0の日本語訳も鬱然としている。それはこの作業に携わった規格のスペシャリストと称する人達が、
従来のQC的品質管理を基にした直訳的な用語の配列に据え換え、その解釈もバックボーンとなる文化の違いを黙殺し、
その普遍性を釈明として自らの主観的な一存から創造したときから始まっていた。
当然、その象徴(ISO規格)は解説書無しでは理解できない代物に変化した。さながら哲学書のごとき難解な言い回しが、
語学の規則性まで無視して、脈絡も無く続く。
この専門家たちは、手取り足取りの面倒見の良い母性愛タイプと、正反対の強い信念と自信を貫き通す頑固親父タイプに
分けられる。当然、対応の優しい母親タイプの指導が好まれる。しかし、品質マネジメントシステムの構築には
不退転の覚悟で問題解決に当たる強い指導性も必要だ。
自分が抱える問題に対して、自分の悩みとそれなりの方向性に気づき整理出来ている人と、自から答えを考える
努力よりも問題解決のプロセスそのものに、もがき苦しみ座して助けを待つ人である。
問題解決の仮の答えを既に持っている人にとって、コンサルタントとは問題を整理し、希望する方向へ一歩足を
踏み出させてくれる相談相手かもしれない。自らの行為と考えに矜持を持たせ、成就に向かい行動を促すことになる。
「世界標準をこれからの主役とすればISOが視座の中心になる。'彼'からの祝福を受けようとする者は、精神的な
苦行をも伴って、日本とは異質の向こう側の新しい展望を眺めることが可能となる。その時、こちら側で海図を描く
案内人が必要となる。それが、補佐役である『私』、コンサルタントの仕事だ」
三月、県の中小企業指導機関の課長が訪ねてきた。以前からアサテックの状態を気に掛けていて、自分の知り合いに
ISO9001を取得した大手企業の品質担当の知人がいて、工場見学を認めてくれるから是非行ってみないかということだった。
工場の其処此処には横断幕や立て看板のISOのスローガンが掛かっていた。
自分自身が取得する番になってみて、この述懐がどれほど辛く、切実だったか思い知った。
平行して5S活動も開始された。五つのグループを作り、他社から5Sの経験者を講師に招いて5Sの理論、計画性、
組織を学び、事務所、工場内の整理整頓、床塗り、ライン引き、表示に汗を流した。
この六月で、西沢がアサテックでコンサルティングを始めてから半年になろうとしていた。
そんな力の入れように、智哉はISO9000sの一通りの規格だけでなく、最新のQS9000に関する専門的な知識や、
実際の審査に関するノウハウまでも、マスターしていった。 西沢にとっても、一度教えたことを何度も繰り返す
必要のない教え子達は、この上ない自慢になっていたようだった。
訓練や講義で習得できる技術は多い。しかし持って生れた才覚や、天性というものの重さを西沢はけっして否定しなかった。
智哉自身、このままの状態が続いて、成果が上がっていくようであるならば、9月には本審査を受けるチャンスが
来るかもしれない、そんなことを密かに思うようになっていた。
ところが、質問が終らないうちに、西沢は眉間に深い皺を寄せた。彼の言葉は、意外にも「アサテックの品質システムは
まだまだ完成していない」と、すげないものだった。
「悪くはないけれど、大事なのは期間じゃなくて、その中身がどれだけアサテックに浸透したかだ」
珍しく、語気を荒げて言った。
ロールスの伴部代表と会う約束の日が来た。
電車は大きく揺れて動き出した。これから向かうロールスの名前が、電車の振動の毎に頭に浮かんでは不安へと
変わって行った。
しばらく歩くと視界が開けた。右手に海が広がっている。 彼らの足取りはまるで敵に突進する闘牛の様だった。
審査登録機関ロールスの入っているビルは、出来たばかりの堂々とした建物で、12階全部を占めていた。予想した通り、
きっちりしたスーツを身に付けた伴部は、有名大学を出た教養といい、英国紳士を目の前に見る思いがした。
伴部は微笑みも見せずに、最初の挨拶でいきなり智哉のこころを刺した。
「審査の前に私どもに来られる企業さんは多いのです。手短にお願いします」
栃木の小さな企業からの訪問者に粘られた伴部は、椅子から動くことが出来なかった。
いや、彼のほうが興味を持ってきたといって良い。
普段冷静な彼に似合わず、ホワイトボードを前に、文字を書き殴り、久しぶりの熱い論戦を戦わせた。
伴部は半分ほど残ったコーヒーのカップを見つめて言った。
エレベーターの中で、柳生は智哉の手を握り締めて笑った。
7月からスタートした品質システムは順調に動き出した。現場でも反町や桃山が皆の先頭に立って
ISOの理解に取り組んでいる。
花田課長は相変わらず記録の取りこぼしを発生させては慎吾に怒鳴られ、谷村課長がそれを
フォローしていた。しかし、概ね業務の流れが整理され、上手く回転し始めていた。
5Sの各グループは昼休みにリーダーが打ち合わせを行ない、一週間の活動計画とその反省会を
しながら、設備の清掃・表示、ペンキ塗り、床のゾーニングとライン引きなどを行なっていった。
慎吾や若手の下川哲也が自社開発した生産管理システムは現品票にバーコードを付け、進捗管理や
納期管理、在庫管理が簡単に出来るようになりつつあった。
慎吾の説明に智哉は頷いた。そうなれば事務所の原本と電子媒体(端末表示)でマニュアルの
配布無しが可能になる。改訂・改版の度の配布回収管理が無くなる事で維持管理は飛躍的に楽になる。
出図もそのうち不要となるだろう。
7月末に予定された予備審査に向かって、社内の空気は徐々に緊張が増していった。
予備審査を明日に控えて、アサテックではその準備に追われていた。午前中に社員が全員集まり、
文書のチェック、内部品質監査を実行した。審査の注意点の打ち合わせが終了すると、ほぼ用意が
終わり社内には安堵の空気が流れ始めた。事は予定通り確実に進行している。
智哉も慎吾も、帰り支度を始めている時だった。
薄くなりかけた額に汗を浮かべて、谷村課長が飛び込んできた。
椅子に着くと三人は申し訳無さそうに互いを見ながら言い訳を言い始めた。
最年長の磯野が言うと、黒須と中山も頷いた。
「私達が居ると明日は会社に迷惑がかかります」
頑なな態度は既に話し合いが着いているといった風だった。それに心の何処かに「いつもの
ことだから……」という安易な甘えの気持ちが見え隠れしていたことは確かだった。
(ここであきらめる訳にはいかない)
「よし、じゃあこうしましょう」
「品質方針はカードにして、見ながら答えればいいし、私が審査員に付いて回って上手く
やりますよ。だから絶対大丈夫です」
「皆さんもよろしいですね」
いま、自分が感じている不安感よりもっと大きいものが過去にいくつ有ったろうか、と智哉は
思った。
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