第四回

舵への疑問




 96年5月、各部門での技術文書の打ち合わせが、繰り返し行われた。
 製造課長の谷村も主任の佐竹も反町も花田も、互いを牽制し有っているかのように口を開かない。
 谷村は眉間の皺をすっかり深くしているが、古尾谷はポーカーフェイスで何を考えているのか分からない。
 しばらく彼らの顔を見ていた智哉が言った。

 「受注手順の作成はどこまで行っているんですか」

 「今、納期対策で手一杯なんです」
 花田が投げ出すように言った

 「馬鹿を言うな、俺にだって目はついている」
 伸吾が冷やかすように言った。伸吾は営業課長の花田を半ば隠居した男としか見ていない。
 「花田君、いったい何をもたもたしているんだ」叱りつける口調になって、近くに詰め寄ると、花田の顔には 汗とも脂ともつかぬ物が浮いていた。

 伸吾に指摘された煮え切らなさは、実のところ彼自身も良く理解していた。
 「気が弱くて、優柔不断で、その上貴方にはズルイところも有るのね」と言って離れていった、昔の彼女の 指摘は当たっていた。

 以来、彼は拗ねたように自分の性格を変えようとはしなかった。最初のうちは珍しかったISOも勉強が 毎週続くとうんざりしてきた。書類を作るのも面倒だし、残業の後の打ち合わせは鬱陶しかった。
 結局、自分がやらなくても誰かがやるさ、とタカをくくった態度になった。優柔不断の底に潜む利己主義が 出ていた。気の弱い人間の狡猾でもあった。

 智哉は席に戻った。背筋を伸ばすと奥歯をぎゅっと噛み締めた。(なんとかしなければならない)
 水野に文書作成のスケジュール表を人数分コピーさせると、担当する社員の名前を赤ボールペンで印を付け、 それぞれに手渡した。
 智哉は事務所に戻るとどっと疲れが出て、椅子に腰を下ろすと目を押えた。現場のこんな無気力と反発の中で、 時間だけが無意味に過ぎていく。

 念願の「ISO9002取得」を果したいという技術屋的な欲望が、この品質保証モデルに自己を賭け、その取得により 町工場の境遇から抜け出したいという願望を辛うじて支えていた。




 その年の夏、柳生が一人のISO9000sの専門家を紹介したが、外部に力を借りるなど全く考えてもいない 智哉にとって、第一印象は決して良いものではなかった。

 6月の熱い日に、その人物はやってきた。

 大学の教授をしていた生産管理とISOの専門家、としか聞いていなかったが、態度も目付きも学者然と していなかった。柳生が彼の華やかな経歴を披露すると「今まで、私は大手企業ばかりをコンサルしてきたが、 これからは中小企業を指導してみたい」と、にこやかに語った。
 工場を案内し、品質文書を広げると最初の挨拶を交わした時の笑みは直に消え、眼は獲物を追う猟師のような 鋭い表情に変わった。

 「こんな大企業の物まねで作った文書は役に立たない、全部捨ててやり直しなさい。」
 現場と品質文書を見た西沢隆二はすべてを廃棄して一からの出直しを提案した。

 智哉は両隣の伸吾と正広と顔を見合わせた。
 短いが死の宣告にも似た言葉は、暫くのあいだ落ち着く先を見失って三人の周囲に浮遊した。
 (折角作った文書が使えない。驚き、 疑い、信用できない)様々な感情と思惑が頭の中を渦巻いた。

 正広がガッカリした様子で力が抜けた表情をしている。伸吾は怒ったように抗議の言葉を幾つか言うと、 相手の反論に、結局口を尖らして黙り込んだ。
 訪問者が去った部屋には無気力な空気が漂った。「納期後れの催促が増えているんだ。ISOの準備で 残業出来ないのが辛いよ。他の外注は取り組んでいない様だし、情けないけど、ウチも止めようか?」
 何時になく弱気な伸吾の言葉に、智哉も暗い気持ちになって、腕を組んだ。

 「提案を受け入れる事が果たして漂流を続ける自分たちにとって、海図を得る事になるのか?」
 「あの人物は本当に水先案内人(パイロット)となるのだろうか?」

 3年間の汗の結晶とも言える品質文書を一見のもとに否定された智哉は、西沢を疑い信じたくなかった。
 彼はすべての助言者を嫌い、自らの考え通りに事を運びたかった。若さ故の他愛ない気取りだったのかもしれない。


 そして、再び半年間の漂流が続いた。


 会社を出ると、時計は10時を過ぎていた。街路樹がすっかり葉を落とした暗い自宅への道で、智哉は 立ち止まり、襟を合わせた。北風が吹き抜けて肌を伝い、冷気が不快に身体を刺してくる。
(なぜ俺はこんな所を歩いているんだろう......)
 こんな寒い日に、なぜこんな思いをしながら歩いていなくてはならないのだろうか。
 寒さが思考を妨げ、智哉の眼は空ろな光しか映していない。すべての行為が無意味な影のように感じられてくる。

 「そんな筈はない」
 「俺には決めた行き先がある」
 「それは重い義務感にすぎないのかもしれないが、それでも俺にとって重要な事なんだ」
 そう自らに言い聞かせてみても、どこか虚無の世界を果てしなく歩き続けて行くような感覚が、体から抜けきらなかった。 ISOは彼にとって負担というよりも重圧に近いものになっていた。

 古尾谷も現在の状況に苛立っていた。一人きりの時間は、執拗な程に心を問題の厳しさに向き合わせたようだった。 彼は会社の前途に不安を感じた。

 「それ見ろ」
 大学時代の友人は彼の悩みを聞くと、言下に言った。

 「ISOなんて無理だと言ったろう。20人ぽっちの会社に入ったお前が馬鹿なんだよ」

 悪友の言葉に反論はあったが、口には出せなかった。古尾谷は悪友を拒否出来ないように、酒との関係も断ち切れなかった。 彼は、徐々にアルコールの助けに身を任せるようになっていった。気がつくと彼は若い気持ちをすっかり失っていた。

 「あんたは自分が偉い人間で、私に解らない何かを成し遂げようとしていると言うんですか」

 智哉と二人っきりの残業の部屋で、そんな言葉があっさりと口をついて出ていた。十一月の冷えた晩であった。
 システム構築に行き詰まりを感じていた古尾谷は、会社を辞めると言い出した。

 「振り返っても無駄な過去に執着するよりも、努力するだけの価値がある未来に目を向けよう」

 智哉の言葉に、相手を見つめていた目をふっと気弱げに細めると、何度も説得する智哉に、少しためらってから ぽつりと答えた。

 「アサテックがISOを取得できるとは思わない」

 真実を言われて、思わず肩をすくめた。
 智哉は太い息を吐いた。
 ――たしかに彼の言う通りかもしれない。

 古尾谷は本心を打ち明け、去って行った。

 自己の将来に絶望を覚え、あがいている姿を、 (落ちこぼれ)と簡単に言いきってしまうことはできなかった。


 「ISO9000など放り投げてしまいたい。」

 智哉は心の中でうめき続ける。平静を装いながら、前途の見えない状態にただ立ち尽くすしかなかった。しかし、 水野との二人体制になった推進チームは留まるわけにいかなかった。惰性で作業を続けながら、その心の中は理想とは 程遠い現実というものの、整合性のなさに打ちのめされていた。

 にっちもさっちもいかない状況の中で、完全に行き詰まった。彼のISOへの期待はあまりに理想主義に走りすぎていた。

 「なんだか予想していた気がするな」

 ため息をつく智哉の口から、低く鼻歌が漏れていた。「逆境への抵抗」なんて格好良いものではなく、こんな時に出る 彼の癖だった。もし側に他人がいれば、「こいつはアホか」と、言われかねない。
 しかし、本人は意識しての行動ではないらしい。
 論理立てて説明できる体感思考ではないが、「こんな時の彼」は立ち直りも早かった。
 相変わらず、遅々として取得準備は進まない。
 ただ、仕事を進めるための義務感が支配していた。

 96年も不本意なまま、暮れようとしていた。


 山間の道路は上っていく車より帰りの車の方が多かった。ジョギングを兼ねているのか歩いて下ってくる人もいる。 手に抱えた破魔矢や縁起物が車のライトにきらきら輝いている。駐車場を出ると、目の前の斜面に長い石段が続いていた。 周りは老杉が鬱蒼と茂り、まだ夜明け前の暗闇が残っている。階段を上がりきると、拝殿の正面には赤々と篝火がたかれ、 周りの人だかりの影を周囲の森に映していた。

 こうして兄弟三人で神社へ初詣をするのは父親の代からの習慣だった。拝殿に上がると正広は柏手を打ち熱心に祈っている。 智哉には正広と慎吾の祈願の内容は分かっていた。景気の回復と売り上げの増加を祈っているのだ。智哉も思いは同じで あったが、頭の片隅にはやはりISOの事が離れなかった。

 「しょうがない、コンサルタントを頼もうか?」
 石段を降りながら智哉が言うと、慎吾も頷いた。

 「俺もそれを考えていたんだ」
 正広が手の中の小さな紙切れを取り出して言った。

 《末吉−願い事助力を得て叶う。新しき事始めるに良し、待ち人遠方より来る》




 悩みつづける智哉たちはようやく結論を下す。

 推進チームも、社員全員も迷い疲れていた。半年近くの逡巡の末、西沢の提案を受け入れざるを得なかった。熱い高揚感は なかったが、ともかく決断が下された。
 アサテックは97年1月改めてキックオフ宣言を行い、ISO9000の認証を取得するための再スタートを切る事になった。

 97年1月、再び、新しい品質システムの構築作業がスタートした。それまで智哉たちが2年以上の歳月をかけて構築したと 思い込んでいた物は脆くも崩壊した。本棚に鎮座していた文書は全て廃棄された。
 西沢は業務の洗い出しと、使われている、いないに関わらず、すべての既存の文書の提出を命じた。

 「結構有るじゃないか」文書の山を前に、これからの進め方の説明を始めた。

 「ISOとは品質マネジメントシステムのことであり、QCとは違う」
 「大勢で寄ってたかって知恵を出し合えば出来る物ではない、企業トップの品質方針をISO9000sの規格要求に したがってシステムとして機能するように構築することだ」
 「従来の日本の品質管理QC(Quality Control)とISO9000sのいう品質管理QM(Quality Management)との 違いを明確にしなさい」
 「ISO8402:1994では、 この2つの用語定義があり、当然、別な定義になっている。しかし、日本では、 QCのほうは、「品質管理(狭義)」「品質管理手法」と捉えられる事が多い。従来の品質管理担当者が、 ISO9000は品質管理の規格であるといって、ISO9000システムを構築するときの推進担当者になる事が多いが、 ISO9000要求の意味がよく理解できなかったり、自社のシステムに適用するときに、実際的でないシステムを構築する ことが多いんだ」

 テキパキと指示を出され、谷村課長をはじめ水野利恵子らは走り回った。花田営業課長でさえ目の色が違っていた。
 社内の雰囲気はいつもとすっかり違っていた。西沢は「私に任せなさい」とは口に出さなかった。大きな声で威圧する
訳ではなかったし、強引に説得された訳でもなかった。それまでコンサルタントを依頼したことの無かった智哉にとっては やり方はどうでも良かった。信頼に値する者でありさえすればそれだけで充分だったのだ。

 やがてISO9000sに対していかに無知、無理解だったかを思い知らされることになった。
 彼の話を聞きながら、智哉は自分が巨木の森の中の、若木になったような気持ちだった。

 西沢の瞑目は、何やら他の発想を考えているようだった。
 この日、西沢から重要な考えが示される。

 管理規定を作らず品質マニュアルと一体化して文書構成を単純化させる。
 受注生産の下請企業が、製品設計をしなくても9001の取得を目指す。
 そして、製品ごとのQC工程表を作成しない。

 「9001…、ですか…?」慎吾と水野が同時に声をあげた。

 2000年の改訂で9002や9003が無くなり9001に統一される事も初めて知った。受注企業として、顧客の図面で加工をしている 下請企業の当社は、当然、設計管理の無い9002と思い込んでいたのだ。3年以上経った今でも、この常識は殆どの人が 持っている。受審企業ばかりか、審査員や審査登録機関ですら誤解が見られるのだから無理は無い。

 大企業の品質マニュアルと同等の大掛かりな文書を作成し、苦労をしてきた中小企業にとってメリットはそれだけでは なかった。ISOの2000年改訂で、9002は9001に統合される。9001でシステム構築をする意義は大きい。
 これらについての西沢の行き届いた調査には、心から敬服した。また、それらの材料を組み立てた帰納による方法の鋭さには 感銘を覚えた。




 アサテックはプロセスデザインでISO9002から9001へ変更する事を決定した。

 しかし、問題は審査登録機関が認めるかどうかだ。予備審査前に審査登録機関の訪問が必要だった。
 品質管理責任者には、本人ですらなかなか自覚できない受審者の不合格の恐怖がある。
 智哉としては、まず受審機関のロールス( 海外の審査登録機関 )の意向を探ってからという気持ちだった。

 「専務、私が一度この件でロールスをたずねて確認してきましょうか」

 西沢から出された、新しい提案に興奮して柳生は言った。
 「訪ねるのは、もう少し待ってください」

 「訪問するにしても、こちらの考えをもう少し纏めてからのほうが良いね」

 西沢もうなずく。
 「それにしても、このプロセスデザインで9001を取ると言うアイデアはすごいですね。これを発表したらきっと みんな驚きますよ」

 慎吾の言うように、智哉も内心は心を急かしていた。

 柳生は智哉のようにそこまで慎重でなくとも、取敢えずロールスをたずねて話をすれば良いくらいに考えている。 簡単に話しが通ずると思っているようだ。
 管理規定無しで、品質マニュアルと一本化をする。しかも製品設計でなく、工程設計で9001を取る、 確かに新鮮な発想だ。
 ISO9000sの品質文書という既成概念から突き出ている。これが実現すれば画期的な文書になるに違いない。 しかし、簡単に事が進むとは考えられない。むしろ予想される困難が智哉の目の前に映っていた。


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