第三回

出航前夜




 日本シグナスのISOの合同説明会が始まった。そんな中、アサテックのライバル会社 エーダイの社長中外勲が智哉に近づき、密かに、ISO9000のムダを説いて同調を求めた。

 「浅川専務さん、ISOはやっかいですなー。時間と金が掛かるだけだ、私は反対だ。 ここは一緒に......」途中から声を一段と低くして言った。

 経営者として半世紀以上の経験を持つ中外は、智哉に新鮮な野望の臭いを感じた。一途に ISOに取り組もうとする若い気迫がその表情や動きに溢れていた。
 自分より三十以上も年下の智哉を見ていて小憎らしさを覚えたのだ。
 それは漠然と若い人間に抱く理不尽な嫉妬であり、伸び上がってくる新しい敵に闘志を湧かせた。
 共栄会の月例会でISO9000の何回目かの講習会が行われ、二次会の席の隅にISO9000に 関心を持つ経営者達の固まりが出来ていた。
 中心に中外の白い頭が動いている。既に七十半ばを過ぎたとは思えない若々しい声が響く。

 「だから......あんな訳の解らない品質保証に我々は技術で勝負すべきなんだ......」

 目の前の機械加工業の社長は明らかに圧倒されて、中外の言葉に声を失った。

 「それに、シグナスさんには必要でも、我々には取得出来るかどうか、分かりませんからな」

 共栄会副会長の大木が言葉を繋げると、話の輪に加わったプレス加工業の多田もアセンブリー業の 伊東も、椅子の中で不安げに身を動かしている。
 結局、他の社長達も中外の意見に賛同して頷いた。

 智哉が苛立ったのは、正広までもが洗脳されたように消極的な態度を取り始めた事だった。
 中外は笑みを浮かべた。今こうしてテーブルに着いている協力企業の経営者を取り込むのに 何年もかかってきたが、これからはタクトをほんの少し振るだけでよい。彼らは見えない不安に 苛まれて、水に突進する鼠のようなものだ。笛の音に踊りながら自分の後に付いてくる。
 だが、彼らは度々バンドマスターを必要とした。彼らの不安は消してやらなければならない。 だから共栄会の集まりに、欠席する訳にはいかなかった。

 中外は外国の機械を買うのが好きだった。
 飛び切りの高性能機ばかりを買い集めた。スイスA社のNC放電加工機、イギリスB社の ジグボーラー、アメリカC社の研削盤、ドイツT社の板金機械。彼の工場の建物の中はこれらの 機械がひしめいた。香港とシンガポールに工場を建てたのは二年前だった。中小企業の 親父連中の中で、彼は論客であり、国際通で通っている。

 そんな中外が、ISO9000に対して懐疑的な態度を取ることは、彼らに安堵感を持たせた。
 「あの人が言うのだから、やはりもう少し待ったほうが良い」と...。
 中外の真意には気が付かなかった。

彼は戦争中に体験した、アメリカとイギリスの傍若無人に未だに腹を立てていた。南方戦線で 負傷し、イギリス軍の捕虜となったときの屈辱の思い出が、未だに消えなかった。
 包囲された彼の部隊は圧倒的な兵力を前にして、残り少なかった武器と弾薬を使い果たした後、 「バンザイ」を叫んで突撃した。一人を残して。足を負傷した彼の手榴弾が不発だったことが、 今でも彼を苦しめている。
 戦場から戻ると、父のプレス工場は、空襲による火災で全て灰になっていた。両親と一緒に、 彼の幼い二人の息子もこの時に亡くなっていた。そして、捕虜として唯一人生き残った彼に、 故郷の人達の目は冷たかった。

 半世紀近くたった今でも、彼は両方から受けた屈辱を忘れず、鬱積した思いを持ち続けた。 彼が海外の、特にヨーロッパの高級機械を集めるのはその反動とも言えた。

 日本シグナスの菊知課長の教育が進められる。
 下請け企業を回って経営者、幹部、そして管理者に対する講習が行われていく。

 「......では、どうすれば取得出来るのか」
 「最終的に認証機関の審査に合格すると、ISO取得企業として認定・登録されます。認証までの 手順を示しますと......」

 ―――部屋の隅のベルが鳴った。
 納期の催促の電話を受けて、慎吾は妙に真面目な顔付きで廊下に退席すると、とたんに息抜きの 表情に変わった。

 「......この中で文書化作業が特に重要で、取得で一番頭を悩ませるところとも言えます」
 じろっと見回す。

 「また、トップが決める事項が多いので、最高責任者の固い意思が問われます」

 正広は目を瞬くと、慌てて背筋を伸ばした。

 そんな、外注企業の不熱心な様子に、取引先の口振りは次第に変わっていった。

 『外注企業もそれなりの対応が要求される。』
 『もしかすると審査員がお前たち外注企業にも行くかもしれない、協力してほしい。』そして
 『一緒に取ったら良いだろう』となり、
 『取れない下請けは評価が下がるぞ』駄目押しは
 『取らないと仕事は出なくなる』

 この言葉に重い腰を上げざるを得なかった。




 93年の秋、智哉は従業員を会議室に集めてISO9000の社員教育を開始した。
 社員からは具体的な反応がないまま一方的な説明が終了した。社員は何を質問していいか、 すら解からなかった。

 智哉の手探りの取得準備が始まる。しかし相談する相手がいない。誰に聞いても、 どう進めたらよいか解らないのだ。県の公設機関や機械メーカー、出版社(業界紙)に 問い合わせるが、手掛かりはない。測定器メーカーのISO研修会にも参加して、話を聞いた。 何処から始めていいのか全く分らないまま、一年が過ぎていった。
 こうしてアサテックは、海図を持たないままISO9000というグローバル・スタンダードの 荒海へ漕ぎ出す事になった。

 94年7月、父の念願だった、新しい事務所と倉庫が竣工した。厳しい経済情勢の中で 竣工披露パーティーが開かれる。親しい知人や工事関係者のみのささやかな集まりだった。 時節柄を考慮して、取引先を招待出来なかった寂しさが父の笑顔の底にある事に、皆気づいていた。


 翌8月、県の工業技術センターから、アドバイザーの柳生氏が紹介され、社員教育が始まった。 取得の準備をどう進めたら良いのか五里霧中だったアサテックにとって願ってもないことだった。
 早速、ISO9000の基礎から10回以上の勉強会が実施される。5時から9時までの4時間、 幹部だけを集めた勉強会がスタートしたが、理解はさっぱり進まない。
 製造部第一課長の谷村茂雄の目が曇っていた。

 「オイ、寝るなよ!」

 主任の佐竹久夫の大きな欠伸を見て隣の正広が膝をつつく。

 「う〜ん、よく分かんねーよなー」

 慎吾もつられて目を潤ませている。


 翌る月、智哉はISO9000の社外セミナーに参加して、自分の無知に愕然とする。
 内容はISO9000sの成り立ちと規格の説明に始まり、内部監査員教育、取得事例の説明と続く。 大手企業の参加者は皆、規格を良く理解していた。頭がよさそうなエリート達ばかりであった。

 難しい−。智哉は頭を横に振った。
 3日間がただ、機械的に過ぎていく。
(この規格にまだ本気になっている訳ではないが、俺達零細企業にISOは取れるのだろうか) ふと思ったが、口には出せなかった。

 疲れた心と体を、故郷へ向かう列車に放り込んだ。
 ――焦った。
 ISO関係のビデオを買込んだ。高価な参考書も何冊も揃えたが、内容はセミナーと殆ど 同じであった。当然の事として、大企業の導入方法を自社の零細組織に持ち込んでしまった。 それ以後報われぬ3年間を過ごすことになる。

 規定は必ず作るものと思い込み、20以上も作っていた。本棚一杯の文書を作るつもりだったのだ。
 ISO9000では文書化と記録が一番大事らしいという事はすぐに気付いた。
 早速、見直し始めると、驚いたことにアサテックの記録は殆ど無いのだ。顧客注文は 指定伝票だから、それらはまとめて保存してあった。しかし、社内への発注手配書、工程内検査記録、 不良発生記録、手直し作業、最終検査記録これらは全く現場任せで、正式な記録はほとんどないに 等しい。

 早速、記録を取ることにして、文書例を参考にして作った記録用紙を現場に渡し、記入を依頼した。 一週間後、現場を回って確認すると思ったほど記録がされていないことに気が付いた。
 「記録がない」智哉の苦情に、現場からも不満が帰ってくる。

 「これでは、記録のために仕事をしている様だ」

 参考書から丸写しした、大手企業向けの記録フォームは記入欄が大きく、当時のアサテックの レベルでは難し過ぎたのだ。

 「現場では鉛筆が持てないのか」
 智哉はガッカリした様子で漏らした。

 『フォームの工夫がなかった』のも事実だった。
 結論は『書くことの練習が必要だ』となり、次回の勉強会からレポートの提出が義務づけられた。
 話すことの練習が手っ取り早いかと、テーマを与えて、『起承転結』での3分間スピーチの 練習も行った。


 最後の事業を成し遂げた安心感からか、父は以前から訴えていた体調が俄かに悪化し、 病院通いが増え、入院、手術が行われた。泊り込みの付き添いに、母と交代で三兄弟も会社を 留守がちになっていく。その年の暮れアサテック一番の技能と経験を持つ、遠藤部長が病気で 亡くなった。

 95年が明けたばかりの病院の待合室で、父の診察を待つ智哉は、テレビの臨時ニュースへ 眼がふれた。画面に異変が起こっている。
 ヘリコプターからの俯瞰映像が映っている、その中に炎と黒煙が高々と上がっていた。
 倒壊した家並みや高速道路が赤くきらめき、そして黒々とした影を見せていた。火炎の柱は至る所 から上がっている。疲労と無力感に襲われて、智哉は椅子にぐったりともたれ掛かった。
 ラジオ、テレビから流れる安否情報を聞きながら、自分を救ってくれる者が誰も居ない悲哀を感じた。


 3月、遠藤の後を追うように父が亡くなった。それからの半年間は、慌ただしく落ち着きがなかった。 葬儀や事後処理や取引先との挨拶に追われる毎日が続いた。気が付くと売り上げは大きく落ち込み、 工場の雰囲気も活気が無くなっていた。

 ある日の新聞は智哉の眼を震わせた。地下鉄での毒ガス事件を連日テレビも伝えていた。
 彼は暗澹たる思いに打ち沈んだ。

 半年の後、主要取引先の日本シグナスがISO9001の認証を取得、外注企業への品質管理がさらに 厳しくなっていった。
 智哉もそしてアサテックも、荒れ狂う暗い海の中を漂流していた。
 戻るには後方の明かりは暗すぎたし、その勇気と気力は残っていなかった。両側はガッチリと 固められ、全く見る事が出来ない。行く手をしっかりと見据えて進むしか方法は無かった。


 96年1月、アサテックは建て直しを図るため、新年の挨拶で社員全員に今後三年間の行動計画を 発表した。中期経営計画を作成しISO9002の取得を柱に据え、社内の改革を進めるためだ。


 4月、認証取得のための社内推進体制を整え、「ISO9002取得推進室」を設立、智哉、総務の 水野利恵子、工学部卒の古尾谷充典の三名の事務局が活動を開始した。しかし、出来上がりつつある 品質システムは、相変わらず、上手く機能していなかった。
 記録の問題は解決していなかったし、何よりも、実際の企業規模を無視した大掛かりなシステムに、 現場は圧迫されていた。

 「専務達がやっている事は、形式じみているよ」磯野が煙草の煙に顔を歪めて言うと、頷くように
 「俺達の技能や経験を無視して、格好ばかりだ」
 磯野と同じ熟練社員の黒須も低く答えた。

 ちょうど通りかかった桃山剛が聞きとがめた。

 「そんな事は無いんじゃないっすか、専務は...」

 後日、この昼休みの話を聞いた智哉は社内にちぐはぐな雰囲気が有ることに憂慮しながら、桃山の 言葉がうれしかった。

 「俺はそこまで馬鹿じゃないすよ」

 彼の茶髪やピアスまでが違って見えた。
(こいつなかなかやるな) と思っていた。

  社員の意識を高めることが必要と、標語やポスターを作る事にした。佐竹はその巨体に似合わず、 可愛らしいイラストを何枚も書いた。

 女性社員が色塗りしたポスターが事務所、工場に掲示された。全員の品質目標カードを作成し、 品質基本方針と一緒に作業衣の胸に下げられた。推進チームの三人は日常の業務の外、5時過ぎから 文書作りに没頭した。

 時には夜9時から10時過ぎまでになることもしばしばであったが、次々とワープロで打たれ、 ファイル化されていく文書は三人の心を満足させた。




 アサテックの現場では順調な受注業務をこなすため、連日残業が続いていた。(こんな忙しい時に 専務達は何を呑気な事をしているのだろう)、口には出さないが社員の不満は募って行く。
 出来上がって行く文書を社内に計り実施しようとしたが、社員達は皆それに反発を感じていた。

ある日、ドアがノックされ柳生が入ってきた。「いい資料が見つかりました。中小製造業向けの 文書のサンプルです」

 たしかに、今まで参考にしてきた大手企業の品質文書よりも遥かに自社の内容に近かった。

「これならうちでもいけそうだな」

 新しい雛形文書を使って、書き直し作業が、工程管理まで進んだ時、古尾谷が嬉しげにいった。
 水野利恵子の指がキーボードの上を滑らかに弾けている。その表情は楽しくてならないという顔だった。
 智哉は彼女の特技は英会話とピアノだったことを思い出した。


 しかし、月日に馴れるとこのような準備の仕方に、次第に焦燥を感じ始めた。
 何の苛立ちであろうか。
 模倣の空しさかもしれなかった。

 書き直した文書も、大袈裟すぎて現場では実現不可能であった。 到底、守り切れない規定や、 記録の記入に現場作業者は戸惑い、受け入れることができなかった。
 智哉の胸の中には、社員に対する感謝の気持ちと裏腹に、行き場の無い怒りの気持ちが生れた。 初めてのことだった。
 「みんな、どいつもこいつも自分勝手だ......」
そう思った。


 自分達の作った文書の欠陥に気づかないまま、現場が鉛筆を持たない事と無理解を問題にした。
 智哉にはどうすればそれが出来るのか解らなかった。だから客観的に見る事が出来なかった。
 今まで、これに似た障害に何度ぶつかったか知れなかった。だが、この時ばかりは思いもかけず、 孤独を自覚した。
 自分の経験の積み重ねが通用しない事を知り、力のみすぼらしさが分かった。

 ISOとはこのような物ではなかったはずだ。

 もっと燃え上がる、会社全体の熱意が欲しかった。

 自分が独りで進めているとの思い込みと、本当は心の底に虚栄が潜んでいたのだ。
 智哉の心は深く沈んだ。


 ISO9000が急に小さな形となって、彼の心から翔て逃げていった。


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