第1回

プロローグ




 1997年、当社にとって忘れ得ぬ年となりました。
私たちが、業界で日本初のISO9001の認証を取得した年です。

 私が過去10年間の間に起こった事で運命に感謝したい事があるとすれば、ISO9000sとの出会いを 与えてくれた事であった。
 この規格が日本に紹介され、発展をし始めた時期と当社が同族零細企業の呪縛を抜け出そうと、 もがき始めた時期を重ねる事が出来たのです。この2つの時間軸の交差が生み出した結果は、 よろこびと同時に大きい変革のきっかけに気付くことも求めました。
 それ故に当時私と、私の会社の企業活動の中で目指した数々の改革の成果を実現へと結び付ける事が 可能となったのです。


 第一に中小企業にとってISO9000sの黎明期といえる時期から関わりを持てたという事です。

 この目新しい国際規格がイギリスから世界に広がりを見せはじめた時、日本の企業は消極的な対応を見せました。 しかし、輸出関連の大手企業の取得が一巡し、国際化、大競争時代が叫ばれ始めると自らのリストラや 品質管理の強化と同様の事を取引先の中小企業に求め始めてからは、すさまじい程のISO9000sフィーバーが 巻き起こります。

 初めてこの規格を目にしたのも、1992年頃の雑誌か新聞からだったと記憶しています。
 当時20人以下の零細企業にとって、ISO9000sは大変奇妙に見えました。これまで全く知らない管理方法に 戸惑いながら、「よく解らないし、俺達には関係ない」というのが、第一印象でした。
 しかしその後、新聞・雑誌をはじめ盛んにこの国際規格の名前が溢れだすと、たちまちのうちにこの 小さな未開人の心を占領し、私たちは夢中になっていくのです。
 まるで江戸時代の末期に来襲した黒船に、はじめは腰を抜かした江戸っ子が、そのうち物珍しがって遠巻きに 見物を始めると、近在からどっと人が集まったのと似ています。

 全て、何からなにまでが、新しかったのでした。
 製品ではなく、品質を管理する仕組みそのものに認証が与えられる事。社内全員の参加を従えてボトムアップの 考え方で成り立つのではないのです。
 顧客満足を如何にして実現するかという経営者の掲げた目標を実現するための仕組みを作り、トップダウンで 実行する規格だったのです。

 品質を維持し、改善し、管理する方法は当時も今もいくらでも有りました。
 国際標準であると言う事実はなかなか捨て難い魅力では有りました。でも、それだけでこの規格が中小企業に 受け入れられる要素を満たしていたかは疑問です。
 むしろ、仕事の手順を決め、文書化し、実施を監査する、そして発生した不具合を自ら、また外部からも 定期的に見直すシステムに新鮮な驚きを感じ、日本人が苦手だった、計画と継続性等の要素のほうに有用性を 感じると共に、逆に負荷と苦痛をも予想したはずです。
 本音のところでは、黒船から異人が取り出してみせた岡蒸気やら――――の品じなに眼を丸くした当時の人々と 同様、この舶来の規格にも何か魔法のような効果を期待して、自分が手に入れた後の神通力を夢見たのかも 知れません。


 初期のまだ景気の好い時代にISO9000sに取り組んだ企業は規格が要求する項目をいかにも日本人らしく 律義に、標準・規定を文書化し、重装備といえる様な品質システムをつぎつぎと構築していきました。
 この様な日本を代表する大企業が作り上げた品質システムは長い間、後に続く企業のお手本となりました。 そして何時の間にか、ISO9000sが文書化から始まり、文書化に終わるという歪んだ解釈とスタイルに変化し、 広がっていったのです。

 理性の有る企業はこうしたISO9000sへの取り組み方に驚き、全てのパワーで大手企業に太刀打ちできない 中小企業はこの様な大量の文書を必要とするISO9000sに躊躇し、自分たちには消化しきれない物として受け止め ました。
 1990年頃から始るグローバリゼーションと大競争時代の襲来は中小企業といえども何がしかの行動の変化を 要求し出します。
 こうした時代変化の先取り精神を、平均した企業の一歩先で感じて、前例が無いための苦しみと格闘しながら 歩み続けた企業だけが社会の大きな支持を獲得したのではないでしょうか。


 二番目の幸運は素晴らしい指導者に巡り合えた事です。

 私の会社が取り組んでいたISO9000sは当初文書化とはとても言えない形で進んでいました。社内の業務を 全く無視した上で大手企業のサンプルマニュアルを良いとこ取りでコピーしただけでした。
 当社がISO9001を取得した1997年まで、私はこのシステムに出会ってから5年近くを費やした事になります。 この時間を自分はどう過ごしてきたかを考えると、全く恥ずかしい限りです。
 それに引き換え、中小企業にとっては企業革新ともいえる品質マネジメントシステムである、ISO9000s 取得企業の数が着実に増加を示す進歩は何と大きかった事でしょう。
 時間だけは他の認証企業に比べ2倍も3倍もかかりましたが、指導を受けながら再構築し直した品質システム の内容は素晴らしい出来だと自慢する事が出来ます。

 私は当社の品質システムは中小企業にとって一つの革命と思っています。詳しくは後ほど説明しますが、 この連載の題名は「海図なき航海」ではなく「ISO創世記」または、「ISO9000sの成功条件」と考えた事 も有りました。
 ISO9000sに興味のうすい人にはどちらでも良い問題かも知れませんが、逆に興味を持って頂くために敢えて 副題に「ISO9001漂流記」を持ってきました。
 有名な「15少年漂流記」や吉村昭の「漂流」を多少意識はしましたが、漂流という言葉の響きはけっこう気に 入っていましたし、5年間の私の体験は正に漂流そのものだったからです。

 当社の品質システムは革命と言いました。
正確には当社にとって、そして又、中小企業に対して革命になると言うのが正しいかもしれません。




 第二部から始る物語では、いったい何が当社に起こったのかを具体的にご披露し、フィクションを交えながら 主人公の眼を通して、ISO9001取得までの道筋を解説します。
 一つは、中小企業の社内に導入されたマネジメントシステムの考え方が与えたカルチャーショックと言える ものです。
 題名の「海図なき航海」とはいささか小説染みていますが、中小企業にとってこの未知の国際規格に向かい 合った時の、正直な感想であり、それほどオーバーな主題ではないと思われます。
実際、当社がISO9001の認証を取得するまでは、かなりの紆余曲折があったのです。

 ISO9000sという国際規格は、日本が関わりを持ちながら発展させたものではありません。元々はイギリスの 軍規格から誕生し、ヨーロッパから世界の標準規格へと拡大していきました。しかも、当初日本は、優秀な 日本製品を阻む非関税障壁と捉え、いやいやながら取り入れました。品質について今更欧州に学ぶものは 何も無いと考えたのでしょうか。
 しかし、今では品質マネジメントシステムISO9000sは予想もしない認証取得企業数一万社の大台を 越えようとしています。数の上で多くを占めるのは中小企業になりつつあります。それまで、きちんとした 社内の標準化や文書化が遅れていた中小零細企業にとって、また計画性と継続性に弱い日本人にとっては、 この規格により目覚めさせられた事例は多いはずです。

 さて、革命と呼べるもう一つは、品質文書の作成方法と形態です。それらは、物語の中で徐々に明らかに されていきますが、品質システムの構築に当っては、システムの文書化の正否が大きな鍵を握っています。 企業の事務局担当者はISO9000s取得のため、大きな役割を演じ、苦労をしてきました。自社の業務を全て 標準化、文書化するために膨大な書類の山を作る作業に没頭したのです。

 では、何故彼らはそうせざるを得なかったのか..。いろいろな理由があり、様々な取り組み方が試されて きました。
 しかし、ISO9001の取得を一つの革命として体験し、現在多くの企業の取得支援をさせて頂いている私には、 過去の私がそうであったように、ISO9000sへの取り組みパターンに、ある決まった失敗の原因が潜んでいる ような気がしてなりません。


 厳しい競争や高い目標達成のため、認証取得を目指す企業は事務局担当者に、事の成就達成を託します。 この時点から、彼は重い荷を背負わされ、家康の格言を座右の銘とします。
 多くの企業、特に中小企業では社長に次ぐbQの人材がこの任に当る事は、業務の煩雑さからかあまり 多くないのが残念です。優秀な人材を育てる事にあまり熱心ではなかった経営者が任命するのは、今まで 日の当らなかった部署の、品質管理経験者や品質保証部門の窓際の席に座る人びとです。
 この傾向は、口ではISO9000sの重要性を語りながらも、本心は金で看板を買おうとしている経営者にも 見られます。

 いろいろな体験や挫折を通して、会社組織の中枢の枠組みからはずれてしまった人間が、ISO9000sを通じ、 もう一度事務局担当者として会社の中で輝きを得る。いわば一種のリターンマッチとして、品質システムの 構築を担当する。ISO9000sという西洋から発した国際標準規格は、企業の巻き返し策としての性格を ある面では備えているのかもしれません。
 対して、もう一方の道を歩む、この物語の主人公は目の前の障害に対して、自ら切り開いていこうとする 強い意志を持とうとします。のみならず、下請企業としての社会の枠組みからも何とか抜け出していこうと します。この人物が目指す世界は妥協や情に流される事を許さない一見非情で、冷徹で、しかし合理的で 自由と責任を尊重する世界でもありました。
 こうした人間にとって、ISO9001の認証取得をするという事はあらゆる困難と格闘せねばならない状態 へと追い込んでいきます。
 次々と発生する問題、苦悩や煩悶、そうした格闘の連続の中での挫折そして―。

 目標を見失い、漂流を続ける彼に幸運の女神からの使者が登場します。
羅針盤と海図を与えられた船は再び、力強く動き出します。
もしもあの時ISO9000sに巡り合わなかったらば、もしも順調に認証を取得していたら、彼の悩みはあるい はもっと長く、深刻になっていたかもしれません。
今にして思えば、苦悩と挫折の日々の経験とそれを乗り越えた自信が今日の彼を支えているのかもしれません。

 彼は、ISO9000sの取得を目指す企業の全社員を前にして、誇らしげにキックオフ宣言を行なった 社長の言葉に続けて、必ずこう言います。

 「ISO9000sは顧客のための国際的な品質規格です、決して楽に取れる物ではありません」

 「でも、また社長は何か大変な事を始めた。とか、俺達には関係ないと考えないで下さい」

 「あなた達の給料は社長が出すのではなく、顧客が出している事に気がつけば、これから始る苦労が最後には あなた達へ大きな成果となって返ってくると理解できるはずです」

 1990年代前半に始った日本へのISO9000sの紹介、半ばに迎えた大企業中心のISO9000フィーバー、後半近く からの中小企業が主役の本格的な取り組み時期に入り、大競争と国際化の時代を迎え打つ企業の革命が着実に、 そして熱いうねりになりつつあります。




 前置きはこの辺で終りにします。これからは具体的なISO9000s取得の物語がスタートします。
零細プレス・精密板金会社、そして、それを日本初のISO9001認証取得企業へと、大きく変貌させた人達の サクセスストーリーです。

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